
ここ数年の読書傾向として、Kindle Storeからのお勧めに素直に従ってばかりいる。初めてのミシェル・ウェルベックも、そんな軽い出会いだった。「素粒子」という心惹かれるタイトルの作品が最も有名らしいが、同じくらい魅力的な表題だったことと、日本語訳版の装丁の美しさに惹かれて「闘争領域の拡大」を購入し、数時間で読み終えてしまった。翻訳者の手腕も相まって、読みやすい。それがゆえに軽く通過しそうなものであったが、そうはいかないのが名著の特徴だ。読了後、日常の折りに触れてこの本について考えることがじわじわと増えた。
「恋愛」という切り口から人生を紐解くと、客観的な自分の評価が非常に難しくなる。特殊のような気も、いたって平易のような気も、恵まれていたような気も、そうでないような気もしてくる。私は朴訥とした日本人女性で、刹那的な恋もあれば、数年に渡る関係もあった。とりわけこの本を読み、ひとりの人物を思い出した。20歳の頃に出会い、付かず離れずの距離を保ちながら結果的に20代前半を彼と過ごした、ひと回り歳上の男性(以降、Mとする)。過ぎたことについてくどくど物申すのはいただけないとは我ながら思うが、つい主人公をMと重ね合わせて見てしまう。つまるところ、Mは他人の手には負えないほどの淋しさを抱えて生きていた。それはもう、出会ったときから間違いなくそうだった。若いながら大層な職につき充分なお金を稼いでいたが、Mが満たされていないのは明白だった。そして、私ではその淋しさを埋められないこともまた明白だった。Mは都会の生活に疲れていて、人生に疲れていて、競争社会に疲れていた。夢を追う無謀な若者だった私は、そんな彼の目に煌びやかに映ったことと思う。私は私で必死に日々を生きていて、私たちはきっと、一日の終わりにお互いの癒えない傷を慰め合っていた。
だから、ある日突然、「外国に住むからもうすぐ会えなくなる」と私が告げたことは、彼にとっては史上最大の裏切りだっただろう。それから1年かけて、彼はゆっくりとアルコール中毒になっていった。見ていられなかったが、かける言葉も、してやれることもなかった。なぜなら、Mの淋しさは、本質的にはM自身にしか癒せないからだ。Mと一緒にいて危ない思いなどは一度もしなかったが、居た堪れなくなった私は何も言わずに住まいを変え、すべての連絡手段を絶って6年に及ぶ関係を強制終了した。そうするほかなかったと、言い訳させてほしい。

——さて、私の「作り話」はこの辺りにしておこう。本作のレビューを斜め読みすると、「インセル」「ミソジニー」という単語が散見される。言わんとすることは尤もだが、では仮にも女性である私がその点についてどう感じたかというと、あまりにも過激な表現に対しては笑うしかなかった。たとえば職場の男性からこのように思われていたとしても、彼がその鬱屈とした思いを内に秘めているあいだは、普通の大人の顔をして接してくれれば私にそれは伝わらない(ビンタされれば別だが)。加えて、究極的に言えば私にできることは何もない(これは仮にビンタされたとしても、そうだ)。もし私があと何歳か若かったら、こういう思想の持ち主に反問したり激昂してみたりもできただろうが、それをやるには歳を取った。だから、聞いてはいけない胸中の吐露を図らずも耳にしてしまったような罪悪感が残る。それが小説の醍醐味なのだが。
とはいえ、まったく主人公の気持ちがまったく理解できないユートピアに、では私が暮らしているかというと、無論そんなことはない。むしろ、前述した20代前半の私は、大部分が主人公に近い感覚だったかもしれない。都会で広告業界の端くれにへばり付いて生きていた私の毎日は、人生のすべてが行き場のない焦燥感とミサンドリーに満ちていた。他人に対する態度も、我ながら理不尽だった。棘を武装することで、若さを隠そうとしていた。そもそも、当時の私から言わせれば、広告などというものは業界そのものが虚構に過ぎない。現実を直視したら負けだった。それで結局、大嫌いなはずの男と酒に頼り、毎日を誤魔化そうとしていた。
そんな記憶が前世のように感じられるのは、私が本当に偶然、留学という目標を見つけることができたからだ。目標達成を経て、今も腐らず日々を生き延び、順調に歳を重ね、角もだいぶ取れた。そうでなければ、当時心酔していた自転車に乗ってふらりとアパートを出たまま、私も文字通り、帰らぬ人となっていたかもしれない。経済的に成熟した国で乾いた仕事をしていると、誰しもが主人公のようになりうる。

さて、ここで表題の秀逸さにも触れておきたい。深掘りしていて驚いたのだが、本作の英語訳のタイトルは”Whatever”とのことで、思わず笑ってしまった。当初は目を疑ったし、それはさすがにないだろうと思いすらしたのだが、いや待てよ、と思い直す。それはそれで、確実にある種の読みたさが存在する。これもまた、あとからじわじわ湧いてきた気持ちだ。しかし、「闘争領域の拡大」には敵わない。表題については本文中に伏線が回収されるが、これは読者が是非自らカタルシスを得てほしい。
また、本作は1994年に初版が刊行されたことにも驚いた。ちょうど30年の月日を経て、この手の問題は解決されるどころか深刻さを増している。領域拡大の魔の手は、オフラインのみならずオンラインにも伸びており、どこにも回避地などないように思える。したがって、この「闘争」に「勝利」が存在するならば——矛盾するようだが、その戦いからいち早くドロップアウトしてしまうのもアリかもしれない。すっかり牙を抜かれた平和主義者の私は、世界の外側に片足を逃しながら、そんな仮説を立ててみたりもする。











